3/14/2018

Oct 3, 2001 :考える葦が行きすぎると

「人間は考える葦」との名言があった。しかし、現代では、この考えるということが行きすぎ、自己の精神「作用」に押しつぶされそうになっている人が多いのではないだろうか? 
 
精神障害の人を見ていると、この考えすぎということがなく、純粋無垢な気持ちの人が多いことに気づく。山下清画伯は純粋だからいい絵を描けた。人が犬猫のペットを愛するのも、彼らが余計な考えを持たないからではないか。
 
一方、通常人はストレスの多い社会での他人との(精神の)格闘で、気持ちが押しつぶされ、文字通り気を病む「病気」になってしまう。人間には生物体防御本能が備わっているから、ちょっとの菌、ウィルスは撃退できる。だけど、気を病むとその防御能力も減少してしまい、本当の病気にかかってしまう。
 
あまり考えないことだ。
 
カーネギーによると、死刑囚のうち8,9割は死刑執行の瞬間まで「自分は正しい」と本当に思っているそうだ。人間の気持ち、考えは、究極のところ自分を守るためにある。自分「勝手」な考えでよいのだ。

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