10/21/2017

Jun 15, 2001 :封建制をおとしめる維新政府

江戸時代の藩というのは、封建時代のこととして今の教育では評価が少ないが、対する近世(中世封建制ののちナポレオンなど)の欧州諸国あるいは中国は四千年ずっとそうだが、(封建制ではない)中央集権の絶対王制があって、専制王が国民国家と称し、民衆を徴兵し戦争に明け暮れていた。

その時日本は、確かに鎖国ぼけはしていたが、300諸侯が幕藩体制の平和のもと、藩どうしが殖産興業あるいは学問の普及などを競いあっていた。その積み重ねが、明治維新後の坂を上る原動力になった。

隣の朝鮮は李氏朝鮮の絶対王制で、支配階級の両班制度の弊害があり、日本みたいな近代化の素地が不足していた。

中国は封建制が無く、科挙制度による官僚帝国が続き、易姓革命の連続そして異民族帝国の支配の動乱の歴史で、民族の力が疲弊した。

「封建制が悪い」という歴史教育は、明治政府が維新革命の正当性をPRするため、前時代の江戸期をわざとおとしめるための作り物だったと思う。

昭和の陸海軍の争いは薩長という藩同士の争いではなく、軍の官僚同士の単なるなわばり争いに過ぎないと思う。長州の児玉源太郎は同藩の山県を嫌い、薩の大山巌に心酔した。

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