2/28/2013

「孤立無援」にさせるのが「いじめ」の定義

教育再生実行会議が進められているが、中心課題の学校でのいじめの定義があやふやだ。

いじめとは身体的あるいは心理的な圧迫を弱いものに与え続ける、との定義があるが、それだけでは単なる暴力(心理的暴力というものを含む)と変わらない。もう一つの不可欠な要件は被害者が「孤立無援」になることで自殺にまで追い込まれる場合があることだ。ひとは単なる暴力だけで自殺まではしない。頼れ相談できる人がいれば生き続けていける。

生徒間でいじめがある場合、多数の無関係の生徒は傍観という広い意味での加担をする。被害者生徒には味方が一人もいない、という厳しい状況に陥る。これがいじめの酷さだ。だから、いじめ対策としては、早期発見と生徒以外の先生あるいは父兄による支援が必要だ。

生徒というものは大部分は純真であり、いじめは一部の不良生徒のしわざだ、という虚構では問題は解決しない。

一方の運動部での体罰については体罰そのものがいけないのではなく、いじめの状況で被害者を孤立無援にすることが問題なのだ。選手のキャプテンを顧問先生がいじめれば、キャプテンだから意地でもほかの選手には悩みをうち明けられない。

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