3/31/2012

カネは命の次に大切

日本人はカネをバカにする。カネがなければ命が危なくなることもあるのは世界の常識だ。「カネで片づくことなら」という日本人の言い方はカネを方便として一段と低く見ているからだろう。
 カネがなければ、政府、公共団体の仕事が国民全体に行き届かなくなることはようやくわかってきた。たとえば限界集落の面倒はもはや見ることができない。税金をもうこれ以上払いたくなければ、その選択と直結する冷厳な結果なのだ。
 福島県の除染の程度をできるだけ高めるべきで、それには巨額のカネがかかってもよい、と主張するとする。しかし、その責任者である破綻予定の東電からの資産以上の賠償は電気料金なり税金なり日本国民の負担するところとなる。その除染に使いすぎるカネも限界集落を守るカネも同じカネだ。カネは大事だ。軽く見て、いくらでも出ると考える手合いは、カネがなくて命を失うことになって、初めてカネの出し方にシビアであれば良かったとわかるようになるだろう。
 原子力発電を拒否してLNG火力あるいは太陽光発電などを志向するには燃料費、建設費などのカネが余計にかかる。火力発電を残せば二酸化炭素の排出減が出来ない。そのために排出権を他国から買うにはカネが必要だ。これらも同じ大切なカネであるということも忘れてはならない。

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