1/02/2009

若い日本人は米国人になったのか

 紅白歌合戦を見たら、若い人の初めて聞く歌が過半を占めていた。それは文痴の歳のせいで仕方がないのだが、問題なのは、それらの歌の内容だった。メロディーが単調(まるでメロディなしの朗読に聞こえる)なのは前から何故だろうという意識があった。だが今回、歌詞も問題あることがわかった。
 詩としても駄作で、恋なら恋、別れなら別れに際し、ただ単にその気持ちを直接歌い上げるストレートなもので、詩作とはとても言えない。アメリカのカントリーなどもそうで、テネシーワルツの恋人を盗られたという歌詞などで、米国は多民族、直接表現でしか共通認識ができないのかと思っていたが、日本人もその様になったらしい。亡くなった大作詞家・阿久悠が嘆くだろう。
 文痴などの時代の歌詞は、地名が入っていた。地名は函館なら函館で単なる地名ではなく、その土地の情緒を伝えるものだ。心の表現も直接表すことはなく、比喩で間接的に分かるような言い方だった。
 日本人の若い層に、これらの共通理解事項(地名、比喩で認識が一致する)が無くなったとしか思えない。

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