2/07/2007

言葉だけ取り繕っても

柳沢大臣の女性産む機械失言の決着後、また、健全な家庭論(二人の子供)が出て、女性政治家が騒いでいる。
もういい加減に言葉尻をとらえるのをやめにして、少子化対策を議論したらどうか。国会はその方向で再稼働している。
差別用語の言葉狩りというのがある。差別の実態がなくならないのに、言葉だけなくせばよし、とするものだ。今回はこれに似ている。
同和問題も同じで、行き着くところ、エセ同和(同和を騙る)になる。中身の改善をしないとこうなる。

江戸時代、キリスト教徒に対する踏み絵というものがあった。隠れキリシタンをあぶり出す意味だったろうが、ぼくは、踏み絵を踏めば許す、心の中まで変える必要はない、ということだったのかとも思った。
同じく、奉行所のお白州で、名奉行が罪人に対して、「恐れ入ったか」と宣言し、罪人は恐れ入って(振りをしてもよい)放免される、のにも似ている。
狭い島国日本の中では、違いを荒立てるより、表面の一致でうまくことを纏めるほうが賢明だったからだ。

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