7/31/2006

東京裁判史観などの是正

毎年、終戦記念日の8/15になると、考えさせられることがある。
首相が靖国神社参拝する是非を判断する前に、考えていく順番があるのだ。
もちろん、考え・議論するのは国内でだ。中韓両国のことは考慮の外におかなくては、彼の国々からは内政干渉になるし、日本の歴史、精神の問題は国内議論でしか方法がないからだ。

まずは、先の大戦の「国内的な」戦争責任の問題。A級戦犯とかいうのは、占領下の東京裁判での(押しつけの)ことだから、それにとらわれない議論が必要だ。つまり、東京裁判史観を認めるかどうかを、独立国日本として考え、60年経ったいま国民的合意を図っていく。
つぎには、もし、それら責任者の責任を問わなければならない場合は、責任者の慰霊の是非(死んだらみな仏として是とするか)。
その責任者が靖国神社へ合祀されているので、「不戦の誓い」としての参拝に、責任者への免罪(責任許容)の意味が出てくるか。もちろんだが、参拝の気持ちは「不戦の誓い」としての慰霊になることは当然だ。
政府公人の参拝が政教分離に反するか。政教分離とはそもそもどのような理由から必要なのか。神道(靖国神社)は宗教か。国家護持として、宗教色をなくすべきか。

以上を区別して議論し、結論を得たうえで、外国に対すべきだと考える。

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